Beyond the Material World [物質世界を越えて]

ブルース・モーエンワークショップ、ホ・オポノポノ、ヘミシンクなどの実践記。
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[2008年05月29日(木) 04:49] 

他人のガイドからのメッセージを受け取る

ブルース・モーエン ワークショップで知り合った3人と2008年 アンマ来日プログラムに参加した。
メインイベントはもちろんダルシャン(アンマによるハグ)だ。

今年は東京で2日間しか開催されない。
年々知名度も上がってきている。
平日開催とはいえ、ある程度の混雑は想定していた。

我々4名は午前10時に飛田給駅に待ち合わせていた。
遅刻者はナシ。
会場のミズノフットサルプラザまで徒歩5分。
ゆっくり歩いたとしても午前10時10分には会場に着いていた。

初日の開場時間は午前9時30分なので、開場から40分しか経っていない。
当然ダルシャンの順番は先頭ではないだろうが、あまり後ろの方にはならないだろう、と高をくくっていた。


予想以上の来場者数


来場者はまず会場入り口でダルシャンの整理券をもらう。
この整理券によってダルシャンまでの時間を有益に使うことができる。

今年のバージョンはアルファベットと数字の組み合わせだった。
我々4名の整理券は「P3」。
先頭は「A1」だろうから、私たちは相当後ろということになる。

会場内に足を踏み入れたとき、ちょうど瞑想中だった。
開場してからまだ40分程度なのに我々4人が座るスペースは会場の最後列あたりにしかなかった。
開場前に並んでいた来場者が相当数いた、ということだろう。


アンマの近くで感じる変化


瞑想後、ダルシャンライン(ダルシャンを待つ列)に「A1」や「A2」の整理券を持った人が並び、ダルシャンが始まった。
アンマが来場者を一人ひとり抱擁していく。

我々4名は会場前方に移動し、運良く空いたスペースに座ることができた。
アンマからおよそ5メートル程の好位置。
このあたりの要領のよさは経験のなせるワザだ。

このくらい近づけば、鈍感な私でもそれなりに感じるものがある。
目を閉じて内側に意識をフォーかするするまでもなく、自分の体(といっても肉体ではない)が振動しているのがわかる。

敏感な人は、明らかにそれ以上の体験をしていることが傍目にもわかる。


それはガイドからのメッセージだったのか?


正午。
順番はやっと「C2」になった。
「P3」の番は当分来ない。
お腹も減ったのでお昼にしようということになった。

日陰にテーブルとイスを移動させてパウンドケーキやナスの天ぷらをつまみながら4人で普段はできないディープなお話をする。

そこでガイドの話になった。
ガイドとは人間(輪廻転生)を卒業するまでに進化した「自分」で、自分を進歩させるために非物質世界から色々働きかけている存在のこと。
「守護霊」や「ハイヤーセルフ」などと表現されることもある。


私以外の3名は自分のガイドと普通にコミュニケーションがとれる。
自分のガイドを知覚することなど造作もない。
そればかりか他人のガイドともコンタクトがとれる。

ここでは便宜上、私以外の3名をXさん、Yさん、Zさんとする。

当初はXさんとYさんと私の3人でこのイベントに参加する予定だった。
3人の都合のいい日が5月27日だったので、その日に決定した。

その直後、私はあるインスピレーションを感じて、Zさんにも声をかけようと思ったのだった。
その日は5月23日。
イベント開催4日前のことだ。

「この日、こういうイベントがあるんですけど、興味ありますか?」という内容のメールをダメモトで出したら、すぐに返事が来て急遽Zさんの参加が決まった。

聞くと、たまたまその日仕事が空いていて、その日以外はずっと予定が入っていたとのこと。
こういう偶然が生じたとき、「アンマ(聖者)に呼ばれた」などと表現する。
ちなみにZさんはインドにも聖者にも詳しくない。


Zさんは私のダメモトのお誘いを、「私のガイドのメッセージをエイジさん(私)が受け取ったんだよ」、「私のガイドがエイジさんに頼んでた」と説明してくれた。

自分のガイドと普通につながれるZさんの言うことなので、きっとそうなのだろうと思う反面、他人のガイドはおろか自分のガイドとも満足にコンタクトできない自分がそれをしたとは考えにくかった。
そもそも私にはZさんのガイドが出てきて、Zさんをこのイベントに誘うように依頼されたというような体験はしていない。
仮にしていたとしてもそれを思い出せない。

私が感じたあるインスピレーションとはふと目にした看板の文字を見た瞬間Zさんのことを思い出したという誰もが日常的に体験し、次の瞬間には忘れてしまっているであろう些細ななものだった。

看板に書かれた文字はZさんを連想させる文字、というよりもZさんそのもの、と言っていい。
例えるならば、「Z医院」と書かれた看板を見たときのように。


シンクロニシティとこじつけの狭間で


ザ・シークレット』にこれとよく似た場面があるので引用してみる。


ザ・シークレット 
(左)【amazon.co.jp】ザ・シークレット
(右)【楽天ブックス】ザ・シークレット

その後すぐ、スーパーで『ナショナル・インクワイアラー』という雑誌を目にしました。それまでに、その雑誌を何万回も見ていたのですが、いつもただの背景に過ぎないという感じで、特に目にとまりませんでした。ところが、それが、突然、私に向かって前面に飛び出してきたのです。それで『もしも人々が私の本のことを知れば、四〇万人が私の本を買ってくれるはずだ』と思ったのです」
ザ・シークレット』p.157~158より


普段何気なく見ていたものがその瞬間だけ特別に感じられる。
こうしたことは頻繁ではないにせよ、しばしば体験することではある。
そしてたいていその後に不思議な出来事に遭遇する、というのがお決まりのパターンだ。
上記の例では、その後自分の記事が『ナショナル・インクワイアラー』誌に載り、自分の本が売れ始めた、という現象が生じている。

ザ・シークレット』以外でも、こうしたシグナルに関することが書かれた本はいくつもあり、私もそのいくつかは読んでいる。
普段何気なく見ていたものが特別に感じられる瞬間の描写としてポピュラーなのは「光って見えた」、「前面に飛び出してきた」というものだ。

私の場合、そこまでわかりやすくない。
光ってもないし、飛び出してもこない。
ただその瞬間、Zさんのことを思い出した、というだけだ。

私はそうした些細なことにも何らかの意味を持ったメッセージが含まれているかもしれない、と考えるクセをつけている。
その影響で、すぐに「これは「Zさんを誘え」というメッセージでは?」と解釈した。

もちろんその解釈は私のこじつけである可能性はある。
だが、そんなことはメールを出しさえすれば確認できる。
そこで私はZさんに「唐突なお誘い」メールを出した。
たんなる気のせいであればZさんは参加しない(できない)だろうし、もし何らかの意味あるメッセージであったのであれば、Zさんはきっと参加することになるだろう、と考えて。

結果は後者だった。


ガイドはどこまで介入できるのか?


私はこの些細な出来事――思いつきでZさんをイベントに誘ったらZさんが参加した――の経緯を誰にも詳しく話していなかった。
Zさんへのメールには「あるインスピレーションを感じてメールをした」としか説明してない。

だが、Zさんの認識では「私のガイドのメッセージをエイジさん(私)が受け取ったんだよ」、「私のガイドがエイジさんに頼んでた」ということだった。

Zさんの解釈に従うならば、私が看板の文字を見て、Zさんを思い出し、「Zさんを誘え」と解釈したという一連のプロセスに、Zさんのガイドが介入していたことになる。

仮にそうだとして、Zさんのガイドはどの程度私に介入していたのだろう?

私の自由意志にまでは立ち入れないと考えると、私にZさんを想起させる看板のあるところまで私を誘導していた可能性はあるが、「Zさんを誘え」と解釈させる、ということまではできないはずだ。

この問題はこれ以上考えても答えは出ないのでこのくらいで切り上げる。


Zさんのガイドは柴犬


なにしろこうしてZさんも参加できたという事実とそこに至る経緯を考えると、私は非物質世界(Zさんのガイド)からのメッセージを受け取って、それを活かすことができた、と言っていいように思える。

もちろんそれを否定することはできる。
疑問を挟むのはたやすく、もっともらしい別の解釈を与えることも難しくない。

これで話が終わりなら結論はぼやけた感じを否めない。
わざわざ記録するまでの価値のある話だったかどうかもあやしい。
だが、予想外のことが起こった。
正確には、起こっていたことに気付いた。

こんな話を聞いたのだ。


Xさんは行きの電車の中ですでに他界した親戚とコミットを持とうとしていた。
Xさんにとって死者と交信するのは朝飯前なのだ。
だが、そのときに限ってうまくその親戚を見つけられなかったという。
すると、Zさんのガイドが現れて、その親戚のところまで連れて行ってくれたのだそうだ。


「Zさんのガイドってすごいね!」


Xさんは賞賛した。

自分のガイドをほめられたZさんにとって悪い気はしないはずだが、その表情は曇っていた。
Zさんのガイドは柴犬の姿をしているらしいのだが、Zさん自身はそのことをあまりよく思ってなかったからだ。


柴犬
柴犬 ワン!


「もっとちゃんとしたガイドがよかった」


とZさんは言う。

私からしてみればしっかりガイドの姿が見えているだけでスゴイことだし、柴犬という姿は「ちゃんとしている」と思うのだが、Zさんにはもっと別の、理想的なガイドの姿というものがあるのだろう。

ちなみに私がブルース・モーエン ワークショップでのエクササイズ中に見たガイドは菱形の金属板のような姿をしていた。
未だにそれが何なのかわからない。


私のガイドはヒンドゥーの最高神?


すると、それまで静かに話を聴いていたYさんが口を開いた。


「Zさんのガイドってシヴァ神が姿を変えたのかもしれないよ」


私はその指摘を聴いたとき、即座にそれが正解のように思えた。

Yさんはつづけて根拠を述べた。
インドに詳しくないZさんにそのことを理解してもらうために、同じ言葉の響きを持っていてZさんがイメージしやすい柴犬の姿をあえてとっているのでは?

この説明に説得力を感じて、私の方が興奮していた。
もし本当にそうだとしたら、それはものすごいことだからだ。
シヴァ神といえば、ヒンドゥーの最高神。
それがバックについてるなら、常時無敵と言える。

もし私がそんなことを言われたら、それがお世辞と気付くまでの数秒間、至福に浸っていられたに違いない。


それが偶然でないという証明


こうした会話の最中、私は今朝の記憶が突然甦ってきた。

午前6時半頃起床し、シャワーを浴びた後、パソコンを起動。
メールを受信し、友人・知人らのブログの更新状況をチェックする。
これらはパソコンを起動させた直後に行っているルーティーンワークだ。

そこで私は知人のブログ記事の中にでかでかと柴犬の画像が掲載されているのを目撃していたのだった。

その知人のブログでは自分の飼い猫と飼い犬の写真を掲載している。
なので犬の画像が掲載されていたとしても何の不思議はない。
だが、知人は柴犬を飼っていない。
つまり、柴犬の画像が掲載される可能性は限りなくゼロに近い。


なぜ私は目にする可能性が極めて低い柴犬の画像を、よりによってイベント当日の朝に見ることができたのだろう?

それは、この一連の出来事がたんなる偶然でないことを示すためではなかろうか?


最終的にそれが決め手となり、私はこの一連の体験を非物質世界(ガイド)からの情報をキャッチした体験の1つとして認めるに至った。
私にはそれが、偶然でないことを証明する権威ある判子のように感じられたのだ。


【追記】この記事を執筆中、デジャブが起こった。
初めて書いたはずなのに、元あった文章を「なぜ私は掲載される可能性が極めて低い柴犬の画像を、よりによってイベント当日の朝に見たのだろう?」という文章に書き換えたときの記憶が甦り、「デジャブだ」と認識した途端消えた。

 

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